南アフリカ共和国は、日本の3倍半ほどある大地は多様な地形から成り立っています。
インド洋沿岸には肥沃な平野が広がり、レソトとの国境付近には2,000〜3,000m級のドラケンスバーク山脈が連なっています。
内陸部は高原地帯で、北西のナミビア、ボツワナ国境付近からはカラハリ砂漠が続きます。
国内には国立公園や自然保護区も数多く、動物サファリやハイキング、フラワーウォッチ、ホェールウォッチ、ダイビングなど色々な楽しみ方があります。
気候も全体的に温暖で過ごしやすい場所が多いです。
大自然の美しさを残しつつ、南アフリカは経済的にもアフリカ大陸最大の国と言われます。
しかしながら、南アフリカに住む人々皆が経済的に豊かというわけではなく、豊かな人と貧しい人の格差が厳然と存在します。
1994年にそれまで長く続いた人種差別政策「アパルトヘイト」が崩壊し、黒人による政権が誕生したが、アパルトヘイト諸法が廃止されて13年経った今でも、社会のゆがみが残っており、さらにアパルトヘイト時代とは質の異なる差別や問題が生まれ、社会のゆがみを大きくしていると言えるかもしれません。
南アフリカ最大の経済都市にして国際空港もあるヨハネスブルグJohannesburgは、南アフリカの首都ではなく経済の中心地に過ぎない。南アフリカ共和国の首都はプレトリアPretoria(行政府)、ケープタウンCape Town(立法府)、ブルームフォンテンBloemfontein(司法府)の3都市である。
ヨハネスブルグは治安の悪さで有名であるが、ここの観光は殆どが観光バスの中からの車窓観光が主体である。
ヨハネスブルクにある(元)黒人居住区。
1976年に始まる青少年たちの「ソウェト蜂起」で世界中にその名を知らしめることになりました。
面積が120ku、人口が公式で150万人、非公式で400万人と言われていて、実際のところはよくわかりません。
通常の観光ツアーでは、旧マンデラ邸、ヘクター・ピーターソン記念公園&博物館、ウィニー・マンデラ邸、バラグワナ病院などで、その殆どが車窓観光に限られています。
南アフリカ最大都市ヨハネスブルグから北西へ40kmほどの距離に、人類発祥の地(人類の起源)とされるスタークフォンテン洞窟がある。アフリカ名は「力のある泉」を意味していると言う。穏やかに波打つサバンナ丘陵であるこの地方は、南アフリカの広い範囲に分布する石灰岩に似たマルマニ・ドロマイト岩が、10万年、100万年単位の想像もできない長い年月の間に浸食されてできた同じような大規模な鍾乳洞が無数に点在している。スタークフォンテン洞窟も正確には海抜1450〜1480mの高原サバンナにできた大規模な鍾乳洞の一つである。
ユネスコではスタークフォンテン洞窟を含む、ここから数kmほど離れたスワートクランズ洞窟(アフリア名・曲がったお腹)とクロムドライ洞窟(アフリカ名・黒い崖)、これら数百万年前の類人猿や原人の化石人骨が多数発掘された複数の洞窟を世界遺産として登録している。
スタークフォンテン洞窟への入口は縦割れしたような裂け目状で決して広くなく、入口というより岩盤が裂けてできた「深い穴」と思うほどである。しかし比較的暗い照明の中を急な階段で徐々に地下30〜35mほど下って行くと、洞窟内部は数万年単位で生成される垂れ下がる大型の鍾乳石や地面から上へ延びる円錐形の石筍や石柱が、至る所に確認できる非常に複雑で、「地面の下にこれほどのものが・・・」と、予想を遥かに越えた広い鍾乳洞となっている。