東西ベルリンとポツダム(ドイツ)
戦争の傷跡の残るドイツ・ベルリンですが、インターナショナルな雰囲気のドイツです。これは、フランスを追われたユグノー教徒やポーランド人、ユダヤ人、トルコ人を数多く受け入れてきたためです。東西ドイツの分断は1945年、その後、ベルリンの壁が崩壊したのが1991年です。しかし、統一ドイツとして正式の統一は2000年といわれています。
古くから、わが国と親交のあったドイツには、文化遺跡も数多く残されています。
また、戦争の終結に大きな役割を担った「ポツダム」の街にも見るべきものが多くあります。それは、フリードリッヒ大王の夏の居城「サンスーシー宮殿」、ポツダム宣言の発せられた「ツェツィリエンホーフ宮殿」などです。
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テゲール空港
カイザーウィルヘルム記念教会
ペルガモン博物館
フンボルト大学
ベルリンの壁
サンスーシー宮殿
(ポツダム)
サンスーシー宮殿
ツェツィリエンホーフ宮殿(ポツダム)
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